2018年10月13日土曜日

田中一村展より



滋賀県守山市の佐川美術館
水に浮かんでいるように見える。安藤忠雄の設計
滋賀県守山市の琵琶湖沿いに立つ「佐川美術館」は、自然と建築物が調和したモダンでクールな佇まいが印象的な文化施設だ。設計は安藤忠雄、ユニークで面白い建築物。ここで、田中一村展があり、初めて彼の作品を見た。一目見てたちまちその色彩と熱帯植物をモチーフとした画風に魅せられた。まるでアンリ・ルソーを見ているようだが、ルソーより遥かに緻密でうまい。

一村 南国の植物や鳥
一村 アダンの花
田中一村(1908-1977)は、栃木県生まれで、彫刻家の田中稲村の長男として生まれた。子供の時から神童と呼ばれ、幼い頃から南画(水墨画)に才能を発揮、今の東京芸大日本画学科に入学したが、大学では南画を教える教授がいないと言われ中退、独学で日本画の道を進む。一時、川端龍子の門下に入るが中央画壇では結局受け入れられなかった。50歳の時、奄美大島へ移住し、農業や紬工場の染色工をしながら画を続けた。南国の光と風俗、そして熱帯植物を描き独自の画風を確立したが、69歳で没した。
生前は中央で注目されなかったが、没後「南日本新聞」に連載された「アダンの画帖~田中一村伝」でその独特の画風が注目を集め、全国巡回展が開催され、一躍脚光を浴びた。南を目指したことから、「日本のゴーキャン」などと呼ばれることもある。

一村 写実と色彩が美しい


ルソー 黄色い花
中央で認められなくて理想の地を求めて南国へ移住したのは、ゴーギャンと同じだが、画風は全く異なるので、ゴーギャンに例えるのは違和感がある。むしろ冒頭に述べたように、アンリ・ルソーに近いと思う。
アンリ・ルソー(1844-1910)は、20数年間、パリ市の税関職員を務め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」であったことから「ル・ドゥアニエ」(税関吏)の通称で知られる。ただし、ルソーの代表作の大部分はルソーが税関を退職した後の50歳代に描かれている。
ルソー 密林と女と
税関を50歳で退職し、年金生活をしながら画家として66歳で亡くなった。絵画を本格的に学んだことはなく、独学で描き続けた。彼の作品には熱帯のジャングルを舞台にしたものが多数ある。ルソーはこうした南国風景を、ナポレオン3世とともにメキシコ従軍した時の思い出をもとに描いたと称していたが、実際に彼は南国へ行ったことはなく、パリの植物園でスケッチしたさまざまな植物を組み合わせて、幻想的な風景を作っていた。また、写真や雑誌の挿絵を元にして構図を考えた作品のあることも判明している。
ルソーの絵に登場する人物は大概、真正面向きか真横向きで目鼻立ちは類型化している。また、風景には遠近感がほとんどなく、樹木や草花は葉の1枚1枚が几帳面に描かれている。一見稚拙に見える技法を用いながらも、彼の作品は完成度と芸術性の高いもので、いわゆる「日曜画家」の域を超えている。
田中一村がルソーの画を見たとは考えられない。しかし、植物を丁寧にしかも美しい色彩で描いているところが似ている。ルソーは所謂「へたうま」だが、一村は人物や動物をきちんと描いてとてもうまい。
ルソー 



2018年10月3日水曜日

自動運転車の先に


高齢者の自動車事故の原因
(事故件数では10代が圧倒的に多い)
75歳になった時、運転免許の更新時期となり、免許を返納するかどうかずいぶん迷った。連日、高齢者がブレーキとアクセルを踏み間違ってコンビニに突っ込んだとか、高速道路を逆行して事故を起こしたとかがニュースになる。一方、海外(主にアメリカ)では、自動運転車の実用化が着々と進んでいて、最先端ではハンドルのない完全自動運転車が街中を走行したり、高速ではほとんど自動で走行できる電気自動車が商品として販売され、供給が追いつかないほど人気を博している。日本でも、安全運転機能が装備された車も各メーカーから販売され、機能することも確認できたので、免許を再更新し、ある程度の自動運転機構や歩行者を検知し衝突回避支援装置が装備された車に買い替えることにした。
前方の車両や歩行者をミリ波レーダーと単眼カメラで検出し、警報ブザーとディスプレイで危険を知らせ、それでもブレーキを踏まないと自動ブレーキが作動する。また、高速道路では前車の自動追従運転が可能で、アクセル操作やブレーキ操作から開放されるので、ずいぶん運転が楽になった。日本の交通規制の範囲内で安全運転機能はそこまで来ている。次の運転免許更新時までに全自動運転車が我が国でも許可され普及していることを期待したい、そうすれば年齢に関係なくドライブに出かけることができる。
米国では自動運転車は既知の技術としてほぼ出来上がっており、国の認可を待つ状態にあり、検証作業のためいくつかの州では一般道走行実験が行われている。彼らの描く自動運転車の未来は単なる車の問題ではなく、車社会の根本的な変化を意図した壮大な未来図を見据えて動いている。トヨタ自動車がトップ自ら認識し、車製造会社を超えて変身しようと莫大なIT・AI投資をしている理由がここにある。「自動運転車の先にくる社会とは」以下, 米国Singularity Universityの講座から抜粋で紹介したい。

アメリカでは、10秒間に20000人が車に乗っている。
その間に、車事故で1800万円の損害が出ていて、その事故で15人が怪我、
そのうち2人が死んでいる。
3.7万人が車関連事故で亡くなり、5.8万人が排出ガスで亡くなっている

平均の車維持費は年間9000ドルもかかっているのに、
車の使用率はわずか4%でしかない。(ほとんど駐車場で眠っている)
車社会のこれから
超安全に、車は増大から収縮へ、無人運転車に、快適なドライブ、
渋滞などない効率的な車社会、車は保有しないでシェアーする。
車の交通をサービスにする。
個人とネットでつながる、全自動運転車、シェアー、すべて電気自動車に
車交通はサービスになる
2015年には、個人車所有2.15兆ドル、公共交通機関所有630億ドル、レンタカー360億ドル
タクシーリムジン120億ドルだったものが、今後はほとんどすべてがシェアーサービスになる。
タクシーよりシェアーサービス
が主流に
現時点での大都会でのシェアー
サービスとタクシーの割合

シェアーサービスの現状
大都市ではタクシーを凌駕するビジネスサイズに成長しており、法規制が緩和されれば、シェアーサービスが主流になる。
すでにニューヨークではシェアーサービスがタクシーの利用者を大きく上回っている













自動運転車の状況はどうか
2017年にはGoogle自動運転車はCAだけで
7500マイルのテスト走行を人間の介入無しで実現
GMも走行距離を伸ばしている。アメリカでは、
CAだけでなくアリゾナなど数州で実験中

GMは2019年には無人タクシーを実現する
Google(Waymo)は既に運転者なしで、完全自動運転車を走らせている。












電気自動車について
電気自動車は、
車の寿命が長い 500マイル以上(内燃機関は150マイル)
信頼性 可動部品数が100対1000以上
シェアーすれば80%の稼働率で投資効率が高い
排ガスを出さない

電気自動車のパーツ
内燃機関のパーツ
電気自動車は可動部品数が格段に少ないため、シンプルな構造で長寿命である。いわば昔の大型コンピュータがPCになったことにより、コンピューター専業メーカでなくとも市販のパーツを買ってきて組み合わせることで、誰でも(専門企業ではなくとも)PCを自由に作れるようになったのと似ている。









 車が個人所有からシェアーになり、電気自動車になることにより、必要な駐車場スペースが激減するし、道路もスペースも減る。減ったスペースをより人間らしい環境にすることが可能だ

大都市の駐車スペースは都市の
14%以上を占めている、それが
歩行者道路や公園に変わる
大量輸送機関との連携が楽に、
駐車違反、交通規則違反の罰金が激減
ガソリン税が無くなる
都市計画の自由度が大きくなる

利用者にとっても
移動距離の80%は電気自動車、シェアー、自動運転車になる
家計から5600ドルが浮く
移動コストが10倍以上安くなる

一方、交通事故死者数が激減するので移植用の臓器が足りなくなる

自動車運転は、現代の乗馬のように個人の趣味となるだろう

2018年9月9日日曜日

土のピラミッド 奈良頭塔

奈良 頭塔
土製のピラミッド
奈良の市内、住宅街の真ん中に土のピラミッドがある。奈良時代に土で築かれた方形7段のピラミッドだ。史跡頭塔、新薬師寺から700メートルほどの住宅街にあるので、すぐ近くまで行かないと存在が分からない。
塔には入れない
奈良時代(767年)東大寺の僧実忠が土で作られた塔を築いたと古い文書にある、これが頭塔(ずとう)と呼ばれるピラミッドだ。昔から奈良時代の僧玄昉の頭を埋めた墓と言い伝えられてきた。僧玄昉は聖武天皇の時代、737年僧正に任ぜられ、聖武天皇の母 藤原宮子の看病をし、それを契機に政治に参与。吉備真備とともに藤原氏に代わって権力を振るい、藤原氏と対立。大宰少弐、藤原広嗣は玄昉と吉備真備を除くよう要求して740年九州で乱を起こし敗死したが、玄昉も745年筑紫 観世音寺に左遷され、翌746年同地で没した。その際、空中から広嗣の霊があらわれて玄昉を連れ去り、後日、頭だけが興福寺に落下、それを埋めた墓なので「頭塔」と呼ばれた。
実際には、土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)となったものと考えられる。
五重塔だった?

土塔の役割は、五重塔と同じように仏舎利(釈迦の骨に見立てた宝物など)を収める仏塔の一種とされる。 頭塔には第1・3・5・7の奇数段に各々11基づつ、総数44基の石仏が配置されていた。現在はそのうち28基が確認されており、1基は大和郡山城の石垣に転用されているのが発見されている。
石仏に各々屋根が配置されている
石仏には、石の表面に仏の姿を刻んだものや、逆に仏の姿を残して石の表面を削ったものなどがある。仏の姿にも、単独で座った姿や、従者と並んで座った姿、さらに、仏の周囲に小さな仏を多数配置したもの、周りに異国風の植物文様をあしらった覆いがあるものなど、バラエティに富んでいる。
石仏
石仏

町中にあるのだが、奥まったところにあるため目立たない。バス停破石町で降りると目の前にホテルウエルネス飛鳥路がある、その駐車場の奥に頭塔入り口(木戸)がある。
ホテルのフロントで拝観料(300円)を払って入る。新薬師寺や春日大社を回る市内循環バスで通り過ぎることは多かったが、今まで気が付かなかった。
大阪府堺市にも、奈良時代の僧行基が建立したと伝わる土塔があり、こちらは大野寺の十三重の塔である。
新薬師寺も近い

2018年8月27日月曜日

糸のみほとけ展 つづれ織りと刺繍の仏画

奈良国立博物館で開催中(8月26日まで)の「糸のみほとけ展」に行ってきた。織物や刺繍で仏や浄土を表した作品展。平面に表現された仏の像といえば、絵画を思い浮かべるが、織物や刺繍による「糸のみほとけ像」は長い歴史がある仏画だ。
今回は、1300年前の国宝「つづれ織り當麻曼荼羅」が修復・展示されていて、その修理完成記念の展覧会でもあり、3点の国宝も出展されている、「天寿国繍帳(中宮寺)」、「刺繍釈迦如来説法図(奈良博)」、「綴織當麻曼荼羅(当麻寺)」である。
天寿国繍帳 聖徳太子の后が作らせた
現存する日本最古の繍仏
古来、綴織(つづれおり)や刺繡は主要な仏像の表現技法で、最古の寺院である飛鳥寺において、本尊である銅の丈六仏とともに丈六の繡仏(刺繡による仏像)が製作され、飛鳥時代より繡仏が祀られていた。
飛鳥時代後期(白鳳期)には薬師寺講堂に刺繡の阿弥陀浄土図が懸けられ、奈良時代には東大寺大仏殿に観音と不空羂索観音の巨大な繡仏がかけられていた。古代において繡仏は彫刻や仏画と肩を並べる造仏の花形技法であり、しばしばお堂の本尊級とされる重要な尊像でもあった。この時期の繡仏に、天寿国繡帳(国宝、奈良・中宮寺所蔵)と刺繡釈迦如来説法図(国宝、奈良国立博物館所蔵)がある。天寿国繡帳は聖徳太子を悼む妃(橘大郎女)が太子の往生した世界を偲ぶために発願した品で、太子時代に遡る貴重な繡仏作品である。
當麻曼荼羅 最古の綴織曼荼羅
中将姫の物語で有名だが、蓮の糸ではない。
また、わが国では織り技法の一種である綴織(つつれおり)の仏像もまつられた。綴織とは、綴錦(つづれにしき)ともいい、緯(よこ)糸に二色以上(数十色に及ぶものがある)の色糸を使い、模様部分だけ織り綴(つづ)るようにして模様を表した織物。緯糸は模様部分では織耳から織耳まで通っておらず、つづら折りのように蛇行して織り進められるので、綴織の名称がつけられた。世界の各地でみられる織物で,古くはエジプトのコプト織りが知られ,またフランスのゴブラン織り,中国の刻糸なども有名。18世紀前半に、明(みん)・清(しん)の刻糸に倣って京都西陣(にしじん)の林瀬平(せへい)が初めて織り出し、19世紀には紋屋次郎兵衛が祇園まつりの「占出(うらで)山 日本三景図」を織り出すなど、京都西陣織で継承されている。
釈迦如来説法図
釈迦の正面で後ろ向きの女性は誰か
女性は男になってから浄土に行くのでこの女性はいない
釈迦の母親とも則天武后とも言われている
綴織の仏画では、奈良・當麻寺の本尊・綴織當麻曼荼羅(国宝)がその代表だが、伝説のような蓮糸(はすいと)を織ったものではなく、錦の綴織りであることが判明している。しかも、同時期の日本に見られる織物と比較して桁違いに密度の濃い、非常に高い技術を要する織り方がなされていることから、原本は中国からの舶載品とみられる。この曼荼羅は緻密な綴織により阿弥陀浄土の様子を織り表した縦横4メートルという大きな作品である。世界的にも古代における綴織の仏像の大幅は伝わっておらず、きわめて貴重な作品である。平安時代に繡仏や綴織の仏の製作は衰微したが、繡仏は鎌倉時代以降再び盛んに作られるようになった。その原動力は、綴織當麻曼荼羅を織ったとされる中将姫に対する女性たちの信仰であった。彼女たちは、當麻曼荼羅を織り極楽往生を遂げたとされる中将姫に自身を重ね、綴織と同じく糸の仕事である刺繡を用い、阿弥陀来迎図や種子阿弥陀三尊図などを製作したのである。

繍仏 大日如来図 
鎌倉時代
繍仏 阿弥陀三尊図
鎌倉時代
繍仏は、写真では分りにくいが間近で見ると、鮮やかで繊細で非常に緻密な刺繍がされているのに驚く。
また、天寿国繍帳の修理時に判明したのだが、飛鳥時代の原本は傷みが激しく鎌倉時代に修理されたあとが見つかった。ところが色合い、仕事の緻密さなどはるかに飛鳥のものに劣る。特に糸の染めが鎌倉のものは色あせているのに対して、飛鳥の色は今も鮮やかである。一体どのような技術を使ったのか今も謎である。鎌倉時代になると刺繍の糸の代わりに人の髪を用い、仏の髪や仏を表す梵字などを表しているものがある。これを「髪繍」と言う。
右側の阿弥陀三尊像の阿弥陀物の頭は髪繍である。


  

2018年7月24日火曜日

新版画展 美しき日本の風景 


川瀬巴水・吉田博の作品が多い
京都駅ビルの美術館「えき」にて開催されている新版画展「美しき日本の風景」を見てきた。「新版画」という木版画のジャンルがある。江戸時代、浮世絵が出来て、木版による大量印刷が可能となり、庶民の間で絵画が楽しまれるようになった。額に入れて飾るような絵ではなく、どんどん新しい版画が出版され、庶民が買って楽しめるような値段で広まった。世界的に見ても庶民が競うように新しい版画(浮世絵)を購入して流行らせたのは稀有なことではないかと思われる。だから、陶器や漆器を海外に輸出する時、詰め物として使われたのが古い浮世絵だった。
左 広重 右 ゴッホ

左 広重  右 ゴッホ
特にヨーロッパで、この詰め物に使われた古い反故のような浮世絵が注目され、日本ブームが起きた。ゴッホなどは日本をまるで美術の理想国のように誤解し、日本に憧れて作品に影響を及ぼしたりした。おかげで浮世絵は日本絵画を代表する芸術として、日本よりむしろ海外で高く評価され、蒐集されてきた。
川瀬巴水 増上寺
川瀬巴水は雪、雨、夜景などをよく描いている
しかし、20世紀初頭には、江戸末期に盛り上がりを見せた浮世絵(伝統的版画)はほとんど衰退。大正期に入り、版元渡辺庄二郎は浮世絵版画の良さを活かして、絵師、彫師、摺り師による伝統的分業体制を再編成、新しい木版画づくりを目指した。その結果、「新版画」として新しい浮世絵がつぎつぎと出版されるようになった。
川瀬巴水 奈良春日大社

川瀬巴水 井の頭池
 浮世絵伝統の技術が今日まだ残っているのは、版元渡辺庄二郎の浮世絵再興の努力と新たな芸術創造のおかげだ。浮世絵の風景画は葛飾北斎、歌川広重などによって大成されたが、これが新版画では、新しいスタイルで表現され、魅力がある。
吉田博 日本アルプス
登山が好きで山の絵が多い
その中心は川瀬巴水(1883-1957)や、吉田博(1876-1950)らで、共に新版画の確立に努力した。
吉田博 瀬戸内海風景
明るく透明感のある作品が多い
江戸時代と同じような場所を浮世絵と新版画で描いた。
渡辺庄二郎の版画店は、(株)渡辺木版美術画舗として現在は銀座に店がある。東京に行くときは私の銀座オフィスのすぐ近くだったので、よく覗いていた。版画なので、値段も手の届く範囲のものも多く、美しい版画を見るのが楽しみだった。