Saturday, April 19, 2008

私達は何処から来たのか ?

ヒトゲノムの解明が進み、人種や、その祖先についての事実が大分わかってきたようです。
以下は、過去に発表された3冊の本から、現代人のルーツについてのFACTSを纏めてみました。


1991年9月19日イタリア・アルプスの山中で、紀元前3000年頃の男のミイラが氷の下から発見された。


背が低く、がっしりした体格で、亡くなったときは40代半ばだったようだ、手には銅製の斧を持ち、、衣服を3枚重ね着し、底がクマ皮でできた丈夫な靴を履いていた。 その靴の中にはネットがあり、寒さ対策の枯れ草が詰まっていた。 装備も万端で、先端が火打ち石でできた短刀や火おこしの道具を携え、火種として使う燃えさしをカエデの葉で包み、カバノキの樹皮でつくったポッシェットに入れていた。


また腸の内容物の分析の結果、死ぬ1、2日前に野生のヤギの肉と何らかの植物性の食べ物を食べていたことがわかった。
この5000年前に死んだ男はアイスマンと呼ばれるようになった。
2005年、アイスマンをCTスキャンにかけたところ、肩甲骨の中に石の鏃(やじり)が発見され、抗争の結果弓矢で攻撃を受け、この傷がもとで亡くなったと考察されている。


アイスマンは現在、イタリア北部のアルト・アディジェ州ボルツァーノ市にある南チロル考古学博物館Museo Archeologico dell'Alto Adigeに所蔵されている。


このアイスマンのDNAについて研究していたオックスフォード大学のブライアン・サイクス氏を初めとする科学者達は、アイスマンのミトコンドリアDNAの増殖と分析に成功したのだ。


驚くべきことに、現代ヨーロッパ人から採取していたサンプルのミトコンドリアDNAとアイスマンのミトコンドリアDNAが一致したのだ。 すなわち、5000年前のアイスマンの母親とヨーロッパ在住の現代人の母親とは血が繋がっていたということになる。



ミトコンドリアは細胞内でエネルギーを作り出していて、染色体を抱え込んでいる細胞核の外側、細胞質という部分にある、このミトコンドリアに含まれているDNAを「ミトコンドリアDNA」と呼ぶ。
ミトコンドリアDNAは、世代ごとに遺伝物質がこちゃまぜにならずに、代々遺伝してゆく。 何故かと言うと、卵子が受精した時、精子の持っていたミトコンドリアは受精時に消滅し、母体から卵子のなかで受け継いだミトコンドリアDNAだけが、代々受け継がれてゆく。 すなわちミトコンドリアDNAは父親の影響を受けないのだ。 このミトコンドリアDNAをたどってゆけば、すべての現代人の最初の母親に行き着くと言う。 ミトコンドリアDNAはおよそ5000年位で変異を起こす、この変異を持つミトコンドリアDNAを見れば、そのDNAを持つ人の先祖を時間軸で捉えることができると言うわけだ。


ブライアン・サイクス氏は、ヨーロッパ中の各地域からミトコンドリアDNAを採取し、その系統を追跡し、現代人の最初の母親は5-6万年前にアフリカに住んでいたたった一人の女性(イブ)であり、その子孫がアフリカを出て、ヨーロッパに広がってゆき、現代ヨーロッパ人が5万年の間に7つの1族に分かれたと主張している。 その研究を纏めたのが、この本「イブの7人の娘達」である。
この本が書かれたのは、2001年11月である。

その後、ヒトのDNA分析研究が進み、ヒトゲノム全容が解明されたのは、2003年のことだ。
このヒトゲノム解明計画終了の結果を踏まえて、科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェードが2007年に
「5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった」を発表した。
その内容は驚くべきもので、現代の世界中の人種はすべて5万年前にアフリカを出たおよそ150人の人達で、アラビア半島経由で世界に広がったことが、男子Y染色体と、ミトコンドリアDNAを追跡することで解ってきたそうだ。

人類の起源をめぐる「出アフリカ説」(アフリカ単一起源説)と「他地域進化説」は長い間対立してきたが、ゲノム分析の結果は、現代人類がアフリカを出た回数はたった1回であり、この150人が全世界の現代人の祖先であると言う結論に達したのだ。
ヨーロッパで栄えていたネアンデルタール人との長い闘い(1万5000年続いた)を勝ち取り、また東南アジアではホモエレクトスを駆逐し、まさにアフリカを出た人々の末裔が我々なのだ。

また人類の祖先の皮膚は出アフリカ時には青白かった、それが黒い皮膚になり、やがてさまざまな色の皮膚に変化した。
2万年前以前では、ヨーロッパ人もアジア人も黒い皮膚だったと言われている。

アイスマンの発見を契機とした現代人のDNA分析によって、実は世界中の人種は同一のアフリカ人を父と母に持つことが分かったのは、びっくりする事実だ。

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