Sunday, April 20, 2008

日本のガラパゴス諸島化

日本のICTにおけるガラパゴス化
日本の主要メーカー7社のパソコン売上高合計(3兆円)は、米国のデル社の売上高(4.7兆円)を下回る。 コンピューター・ソリューションでも主要5社の売上高合計(6.4兆円)が、米国のIBM社の売上高(10兆円)に及ばない。
携帯電話も同様で、国内主要8社の売上高合計2兆円は、フィンランドのノキア1社の売上高2.6兆円に及ばず、米国のモトローラ、韓国のサムスンそれぞれ1社の売上高1.8兆円とあまり変わらない。
携帯電話に関しては、標準化に成功した3G(第3世代)携帯は、特許の多くを他国企業が保有し、多額のライセンス料支払いを余儀なくされている。
電子工業立国、日本がどうしてこのようになったのか。 
「人口1億2700万人という中途半端に大きな国内市場に安住してきたことだ。」
国内に携帯電話機メーカーが10社近くもあるのは、海外に売らなくても日本だけで食っていけたからだ、だが世界 シェアは韓国勢に大きく劣る。韓国は人口が日本の3分の1強だから、世界へ出て行かざるをいなかったのだ。
日本の携帯電話メーカーが国内の「大市場」を奪い合ううちに、世界シェアでは韓国のサムスン電子に大きく水をあけられた(07年8月ごろ)

この状況は閉鎖系内で特有の種が繁栄する「ガラパゴス諸島化」現象と言われている。

処方せんはあるのか。
日本はいずれ人口大国ではいられなくなる、現実に少子高齢化で人口は減少に転じているし、
もはや明治期のように列強から取り入れられるものは少ない。
また日本の民族性は変わりようがないように見える。 
制度を変えて社会の効率を上げる仕組みが必要だし、グローバルな視点からの見直しが要る。

多摩大学の公文教授は情報化社会の「智民」たちや「智業」に期待をしている。
より根本的な変化は人々の意識や行動様式に現れ、情報社会ではこれまでの「産業社会」の「市民」や「企業」とは性格を異にする個人や組織、すなわち「智民」や「智業」が出現してくる。
智民や智業者はインターネット上を駆け巡って、最初からグローバルな規模での活動が前提である。
ウェブ進化はすべての人が不特定多数に向けて自己を表現する可能性を開き、これからその機能はさらに進歩してゆく。ウェブは時空を超えるから住む場所、時間を越えて、志向性を同じくする人達と世界中で智民、智業を起こすことができる。
ソーシャルネットワークに参加している人達は1200万人を超え、ブログで発信している人達も数百万人いるといわれている。自分の考えを世の中に試すのが一番楽しいと感じている人種たちだ。
情報社会の智民達は産業社会の消費者に似ているが、より能動性が高い。 

さらに興味深いのはオープンソースだ。
 オープンソース世界では、他者に何かを強制する道具立てがまったく存在しない。「お前、これをやれ」と人に強いるための裏づけがない。経済的な取引という概念も存在しなければ、雇用関係を基盤とする組織的指示命令系統も存在しない。すべては参加者の自発性だけに委ねられて、プロジェクトが進行する。プロジェクトが成功するも失敗するも、すべて参加者の自発性次第なのだ。ならばその自発性はどこから生まれるのだろうか。そこにオープンソースを考える本質がある。

オープンソースでは実業の社会ではなしえなかった偉業が数々達成されている。 例えば百科事典の最高峰であったエンサイロベディア・ブリタニカを遥かに超えた項目を網羅するウィキペディアがある。
投稿する人も投稿された項目の誤りや不完全性を訂正するのもすべて名もないウェブ上の人達である。 まったく経済的には成り立たない(全部無料)のに、世界中のその項目に関してはプロである智民が支えているのだ。
従来考えられなかったグローバルな善意だけで成り立っている智民社会がそこに実現している。
オープンソースのなしえた偉業だ。

ウェブと英語があれば、日本だろうが、アフリカの片田舎であろうが、グローバルに社会参加ができ、それなりの社会貢献だってできるのだ、ガラパゴス諸島化とは対極にある世界を実現できる、と私は信じている。

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