Monday, November 26, 2012

今年の正倉院展

瑠璃の杯

今年も正倉院展に行ってきた。
今回の目玉は、展覧会のポスターにもなったエキゾチックな形、美しい濃紺の瑠璃杯である。
6世紀頃西アジアでガラスの部分が造られ、シルクロードを越えて、百済で銀製の脚部が追加されて完成。 それが、海を越えて日本へやってきた。
この事実だけでもロマンがある。
正倉院にはガラス製品が6万点も所蔵されており、今回の展示では美しい色と形の双六玉が沢山出品され、ガラス製の短い物差しもあった。どれも出来立てのように美しく、あまりに綺麗なので、貴族たちは物差しを腰にぶら下げてアクセサリーにしていたらしい。
ガラスは当時貴重品だった。綺麗なガラスは1300℃以上に温度を上げないと出来ない、日本で作ったガラスは通常なら20-30%程度の鉛含有量であるのに対して70%をこえている。鉛の含有量を増やすことでガラスの溶融温度を900℃にまで下げられるからだ。

人類はプロメテウスから火を授けられてから、文明の発展を遂げてきた。
縄文式土器は土を捏ねて、野焼きで作る、焼成温度は500-800℃位。弥生式土器(土師器、須恵器)は1000℃以上、硬く薄く出来る、この発展過程上に陶器がある。
金属では、銅器が1080℃だが、錫を混ぜることにより850℃くらいで青銅が出来る。日本では弥生式土器を焼けるようになって青銅器の生産が可能になった。さらに鉄器になると鋳物で1200℃~1300℃、純鉄なら1500℃以上の溶融温度が必要。
撥鏤
美しいガラスを作る技術は鉄器を作るだけの温度技術を要求される。
より高い溶融温度の獲得が、より高度な農耕具製造となって、土地の開拓が進み、農作物の収穫量が飛躍的に伸びた。
人類は裕福になった一方で、武器の発達により権力の集中も行われるようになる。
このような文明の発達の結果として、装飾品のガラスが生まれたと言える。

螺鈿紫檀琵琶
ガラスの物差しがあったが、同様の目的で造られた撥鏤尺もあった。撥鏤(ばちる)とは象牙に彩色を施した、尺や楽器(琵琶)を弾くためのばちである。
聖武天皇が使ったとされる紅撥鏤が出品されていた。先のほうが少し傷んでいるので、実際に使われたものと分かる。
撥鏤の細工もため息が出るほど美しい、こんな細かな細工物が1200年も経っているとはとても信じられない。

出口付近に、写経生たちが一日かけて写経した結果の報告書綴りが出ていた。写経実績を報告しているのだが、監督者が内容を検査して、誤字が何字あったとか、未完であるとか朱字でコメントしている。
この結果に基づいて給料の支払いが減らされたので、現代同様、奈良時代のサラリーマンも結構厳しい実績主義だったようだ。

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