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モダンな法隆寺宝物館 |
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百済系請来仏 |
前回のブログで紹介した円空仏展のついでに立ち寄ってみた。
法隆寺宝物館は明治11年に法隆寺から宮内庁に献納された300点あまりの宝物を展示している。
明治時代の廃仏毀釈運動で、奈良の寺院は危機に瀕し、貴重な古い仏像なども売りに出されたり、廃却されたりして、散逸していった。
法隆寺も例外ではなく、飛鳥、白鳳時代の宝物を維持できなくなり、宮内庁に献納してその保持を図った。
その後、国立東京博物館に移管され、1964年に宝物を保存するための建物として法隆寺宝物館が開館した。
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止利仏師様式中尊像 |
その後、一般公開要請もあり、保存と展示の両方を目的として、平成11年(1999年)モダンな今日の宝物館が出来た。お陰で、何時でもこれらの貴重な宝物を間近に拝観出来るようになった次第だ。
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山田殿像と銘のある 日本最古の三尊像 |
一階の第2室に金銅仏と光背、押出仏ばかりを展示してある様は壮観で、すべて6-7世紀の物ばかり。
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止利仏師系像 |
仏教伝来の初期に朝鮮半島から渡ってきた仏像も3体あり、面白い。
どことなく素朴であり、三尊像などは光背が一つでその前に釈迦像と脇侍が並び立つ形式で百済系だろうとされている。この形式がコピーされて後に善光寺式三尊像となる。
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童子系像 |
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童子系像 |
童子系の像はいずれも顔が子供のように愛くるしく、姿も4等身程度に造られている。自宅に置いて眺めていたのかもしれない。
法隆寺宝物館の金銅仏は大きくとも40センチ程度で、ほとんどは30センチ以下が多い。飛鳥時代の豪族が自宅に安置していたものと考えられ、所有者の名前の入ったもの、作成された経緯や年号の書かれたものなどもあり、当時豪族間で仏教が広まっていたことを示す。
展示物165号の菩薩立像に、西暦651年7月10日笠郡(岡山県)の長が亡くなってので、息子2人でこの金銅仏を造ったとの記録が残っている。
日本書紀の仏教伝来に間をおかず、このような事が起きていたとすると、私的には仏教なり、仏像が以前から日本に入っていたと考えられる。
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釈迦誕生像 摩耶夫人の袖から顔を出している |
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