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興福寺 東金堂と五重塔(どちらも国宝) |
最近、まだ拝観していなかった興福寺・東金堂の国宝群を見る機会があり、改めて、今一度、興福寺シリーズです。
興福寺の起源は669年(天智8)、藤原鎌足の妻、鏡女王が京都の山階寺を建立した時とされている。
東金堂の仏像はいずれも国宝 ご本尊の薬師如来は飛鳥の山田寺から 略奪(?)してきたとも言われている |
この移築をしたのが藤原不比等であり、もともと興福寺は藤原家の私寺であったが、藤原家の権勢で、「造興福寺仏殿司」が置かれ、官寺の扱いとなる。その後、不比等の娘、光明子が聖武天皇の皇后となると天皇家との関係が深まり、東金堂(聖武天皇建立)、五重塔(光明皇后建立)、北円堂(元明・元正天皇建立)、西金堂(光明皇后建立)など次々と大伽藍ができた。
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三重塔 南円堂の裏側に 隠れていて 今まで気が付かなかった |
平安時代には源平合戦で東大寺とともに平清盛に反抗したため、焼き討ちにあい大半の伽藍が消失した。
その後再建され、安土桃山時代には春日大社、興福寺合体の知行として2万1千石を領し、江戸末期まで続く。
長い間権勢を誇った興福寺も、明治時代の神仏分離令により、廃仏毀釈の嵐に巻き込まれ、寺領は没収、僧は春日大社の神職となる。
また、境内のすべての塀は取り払われ、樹木が植えられて奈良公園となる。
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阿修羅様は元はこんな色だった しっかり再建に協力している |
1998年に興福寺は世界遺産に登録され、国の史跡整備保存事業として発掘調査が行われており、平城遷都1300年を期に、現在中金堂が再建中、さらに南大門の再建も計画されている。
現存する各寺院(北円堂、南円堂、東金堂など)を囲む塀も検討されていると聞く。私としては塀の再建はやめて欲しいと思うが・・・・。
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再建中の中金堂 |
中金堂の再建には60億円の費用がかかるのだが、あの阿修羅様が東京へ出張され、しっかり稼いで再建に協力したと言われている。
一度ミュージアムを訪れてほしい、きっと暗くて、陰気な仏像のイメージが、がらりと変わること請け合い。
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国宝館 |
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