2018年8月27日月曜日

糸のみほとけ展 つづれ織りと刺繍の仏画

奈良国立博物館で開催中(8月26日まで)の「糸のみほとけ展」に行ってきた。織物や刺繍で仏や浄土を表した作品展。平面に表現された仏の像といえば、絵画を思い浮かべるが、織物や刺繍による「糸のみほとけ像」は長い歴史がある仏画だ。
今回は、1300年前の国宝「つづれ織り當麻曼荼羅」が修復・展示されていて、その修理完成記念の展覧会でもあり、3点の国宝も出展されている、「天寿国繍帳(中宮寺)」、「刺繍釈迦如来説法図(奈良博)」、「綴織當麻曼荼羅(当麻寺)」である。
天寿国繍帳 聖徳太子の后が作らせた
現存する日本最古の繍仏
古来、綴織(つづれおり)や刺繡は主要な仏像の表現技法で、最古の寺院である飛鳥寺において、本尊である銅の丈六仏とともに丈六の繡仏(刺繡による仏像)が製作され、飛鳥時代より繡仏が祀られていた。
飛鳥時代後期(白鳳期)には薬師寺講堂に刺繡の阿弥陀浄土図が懸けられ、奈良時代には東大寺大仏殿に観音と不空羂索観音の巨大な繡仏がかけられていた。古代において繡仏は彫刻や仏画と肩を並べる造仏の花形技法であり、しばしばお堂の本尊級とされる重要な尊像でもあった。この時期の繡仏に、天寿国繡帳(国宝、奈良・中宮寺所蔵)と刺繡釈迦如来説法図(国宝、奈良国立博物館所蔵)がある。天寿国繡帳は聖徳太子を悼む妃(橘大郎女)が太子の往生した世界を偲ぶために発願した品で、太子時代に遡る貴重な繡仏作品である。
當麻曼荼羅 最古の綴織曼荼羅
中将姫の物語で有名だが、蓮の糸ではない。
また、わが国では織り技法の一種である綴織(つつれおり)の仏像もまつられた。綴織とは、綴錦(つづれにしき)ともいい、緯(よこ)糸に二色以上(数十色に及ぶものがある)の色糸を使い、模様部分だけ織り綴(つづ)るようにして模様を表した織物。緯糸は模様部分では織耳から織耳まで通っておらず、つづら折りのように蛇行して織り進められるので、綴織の名称がつけられた。世界の各地でみられる織物で,古くはエジプトのコプト織りが知られ,またフランスのゴブラン織り,中国の刻糸なども有名。18世紀前半に、明(みん)・清(しん)の刻糸に倣って京都西陣(にしじん)の林瀬平(せへい)が初めて織り出し、19世紀には紋屋次郎兵衛が祇園まつりの「占出(うらで)山 日本三景図」を織り出すなど、京都西陣織で継承されている。
釈迦如来説法図
釈迦の正面で後ろ向きの女性は誰か
女性は男になってから浄土に行くのでこの女性はいない
釈迦の母親とも則天武后とも言われている
綴織の仏画では、奈良・當麻寺の本尊・綴織當麻曼荼羅(国宝)がその代表だが、伝説のような蓮糸(はすいと)を織ったものではなく、錦の綴織りであることが判明している。しかも、同時期の日本に見られる織物と比較して桁違いに密度の濃い、非常に高い技術を要する織り方がなされていることから、原本は中国からの舶載品とみられる。この曼荼羅は緻密な綴織により阿弥陀浄土の様子を織り表した縦横4メートルという大きな作品である。世界的にも古代における綴織の仏像の大幅は伝わっておらず、きわめて貴重な作品である。平安時代に繡仏や綴織の仏の製作は衰微したが、繡仏は鎌倉時代以降再び盛んに作られるようになった。その原動力は、綴織當麻曼荼羅を織ったとされる中将姫に対する女性たちの信仰であった。彼女たちは、當麻曼荼羅を織り極楽往生を遂げたとされる中将姫に自身を重ね、綴織と同じく糸の仕事である刺繡を用い、阿弥陀来迎図や種子阿弥陀三尊図などを製作したのである。

繍仏 大日如来図 
鎌倉時代
繍仏 阿弥陀三尊図
鎌倉時代
繍仏は、写真では分りにくいが間近で見ると、鮮やかで繊細で非常に緻密な刺繍がされているのに驚く。
また、天寿国繍帳の修理時に判明したのだが、飛鳥時代の原本は傷みが激しく鎌倉時代に修理されたあとが見つかった。ところが色合い、仕事の緻密さなどはるかに飛鳥のものに劣る。特に糸の染めが鎌倉のものは色あせているのに対して、飛鳥の色は今も鮮やかである。一体どのような技術を使ったのか今も謎である。鎌倉時代になると刺繍の糸の代わりに人の髪を用い、仏の髪や仏を表す梵字などを表しているものがある。これを「髪繍」と言う。
右側の阿弥陀三尊像の阿弥陀物の頭は髪繍である。


  

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