2018年12月16日日曜日

女人高野 室生寺

かわいい五重塔
訪れてしばらく経ったが、初秋の室生寺にでかけた。奈良の寺院は市内を除くとどこも足の便が悪い。室生寺や長谷寺はその典型だ。電車でも、車で行っても遠い。前回行ったのはいつ頃だったのかも思い出せないが、女人高野の名にふさわしい美しく小さな五重塔だけが記憶に残っている。女人高野と優しい名称が魅力だが、実は「女人高野」と言われるようになったのはいつ頃か、はっきりしない。元々、この寺は法相宗だったが、天台宗も兼ねていた。その後、真言宗と天台宗の道場となり、現在は真言宗室生寺派の総本山である。江戸時代、元禄年間に徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院の寄進を受けて堂塔の復興をしており、桂昌院という大スポンサーを得たことで、女人禁制の高野山に代わって女性に門戸を開いたという説がある。1998年の台風で樹木が五重塔に倒れ込み、5層目から1層目までが壊れどうなることかと心配したが、無事修復、以前と変わらぬ美麗な姿に戻った。その修理時、奈良文化財研究所が壊れた木材を年輪年代測定法で調査したところ、794年に伐採されたものと判明。塔の建立年代を800年頃とする従来の定説が裏付けられた。

国宝 金堂 釈迦如来立像他
わずか5間四方くらいのお堂に、5体の大きな仏像があり窮屈な感じがする。更に釈迦像を中心にしているのに、脇侍が揃っていないし、大きさもばらばらである。
白洲正子の十一面観音巡礼によると、「はじめは三尊像で、本尊の釈迦も実は薬師ではないかと言われている。そうなると脇侍の薬師も行き場を失うが、金堂の蟇股には薬壷が付いており、本尊が薬師如来であったことは疑えない。仏像の大きさも、形式もまちまちで、それはそのまま室生寺が経てきた複雑な歴史を物語っている。」としている。
金堂内陣 本尊は釈迦如来像とされるが、薬師如来の眷属である十二神将がいるので、
本来、薬師ではないかとも言われる

国宝 金堂壁画
金堂の来迎壁(諸仏を安置する内陣須弥壇の背後にある壁)の中央部に描かれている壁画。「板絵著色伝帝釈天曼荼羅図(金堂来迎壁)」の名称で国宝に指定されている。しかし、来迎壁の真正面に金堂本尊の釈迦如来像が立っているため、釈迦如来像の光背の右横にわずかに見えるだけだ。壁画は縦長のヒノキ材の板を横方向に5枚繋げた上に描かれ、白土下地に彩色されている。この壁画の主題は諸説あってよくわからないが、明治45年(1912年)、美術雑誌「国華」に「帝釈天曼荼羅」として紹介されて以来、「伝帝釈天曼荼羅」と称されている。9世紀後半ごろに描かれたようで、数少ない絵画作品の現存例として珍しい。


普段は見えない。右端の部分が釈迦如来像光背の横に少しだけ見えている


国宝 十一面観音立像 
高さ196.2cm カヤの一木造りで平安時代初期の作とされる。肉付きがふっくらとして、唇の朱色も生々しく残っており、女性らしいかわいい系のイメージが強い。日本の観音像は女性らしさを感じられるのが多いが、室生寺の十一面観音像は特にその感じがあり、女性に人気が高い理由もわかる。体軀には、装飾的で華麗な飜波式衣紋(ほんぱしきえもん)を鋭く切り込んであり、その上品な存在感は他に類例を見ない。乙女のような表情は、女人高野・室生寺にふさわしい。
女性的な十一面観音

弥勒堂 国宝 釈迦如来座像
今回の室生寺では、ぜひこの仏像に再会したかったのだが、弥勒堂は現在修復中、釈迦如来様は奈良国立博物館仏像館にお出かけとのこと。がっかりしたが、後日、奈良博・正倉院展に行った時、中央展示室の真ん中に座したお姿に会ってきた。仏像を鑑賞するにはこちらのほうがじっくり拝観できて良かったかも、その魅力は誰をも立ち去り難くさせる。
像高106.3センチ。普段は弥勒堂の本尊に向かって右に安置される。伝来や造像の由緒は一切不明だが、作風から平安時代前期(9世紀)の作とみられる。
写真家の土門拳は昭和十四年に初めて室生寺を訪れ、この仏像に心を奪われ、「天下第一の美男の仏像」と絶賛した。
弥勒堂 釈迦如来座像
美男におわす かな?
平安時代前期の仏像の白眉
土門拳 絶賛の美男仏像


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